前鳥神社 > 前鳥神社とは

御祭神

菟道稚郎子命(うぢのわきいらつこのみこと)
修学・学問の神さま。 我が国で初めて中国からの典籍を学ばれました。
大山咋命(おおやまくいのみこと)
活動と福禄の神さま。 明治期に村内の日枝神社を合祀しました。
日本武尊(やまとたけるのみこと)
火難除けと安全守護の神さま。 東征の折り、当地にて身を憩われました。

以上三柱の神さまをあわせて「前鳥大神」と称し、この御祭神の御神徳を慕い広く関東一円より、信仰を集めております。

御神徳

前鳥大神(菟道稚郎子命)は、第十五代応神天皇の皇太子です。
当時、百済から来朝していた阿直岐(あちき)から帝王への道を学ばれた後、
博士王仁(わに)を師として学問の道をひらかれました。

論語や千字文などの漢籍をわが国で最初に学ばれた方でもあります。
このことから、古くより修学の神、学問の神、就職の神として
広く尊崇されています。

また命は、帰化した渡来人技術者を篤く庇護し、産業技術の導入を計られ、
日本の農業・土木建築等の急速な発展をなされました。

さらに、その俊秀の誉れから、皇太子と定められましたが、
兄大鷦鷯命(おほさざきのみこと、後の仁徳天皇)と皇位を譲り合い、
ついには兄君をたてて自らはお隠れになりました。
この「謙譲の美徳」は、古今に関わらず範とされています。
なお菟道稚郎子命を祭神として祀る神社は極めて稀であります。

菟道稚郎子命と大鷦鷯命

御神徳

江戸時代の前鳥神社

神社名の「さきとり」は平安以前の古い地名で、相模川河原に接する自然堤防の南端で、地形名から起こったと言われています。
奈良時代の天平7(735)年の『相模國封戸租交易帳」には「大住郡埼取郷」として記載されています。
この「さきとり」の地に奈良時代以前、畿内から御祭神を「氏の上」とする氏人が移り住み、遺徳を偲び、清浄な地にお祀りしたのが「さきとり」神社と考えられます。延喜年間(901~923)に編纂された『延喜式』という法制書の中で全国の著名な神社が収録されている神名帳に、当神社は「前鳥神社」と記され、相模国の十三座のひとつとして登載されています。また、四之宮の称は、養老年間(717~724)の相模国の国府祭が始まったとされる頃に生じ、平安時代には四之宮郷として通称されるようになりました。

鎌倉時代には幕府の崇敬を受け、建久3(1192)年8月、源頼朝公夫人政子の安産祈願にあたり神馬の奉献があり、建暦2(1212)年に幕府は当社を将軍家祈祷所と定めました。近世に入ると、関東八カ国の領主となった徳川家康公は天正19(1591)年11月、当社に武運長久祈願のために朱印地十石を寄進、あわせて社地二千百余坪を除地として加護しました。
当神社は、この地に鎮座して以来、連綿と祭祀を続けてきました。時代が近世初期になってからは、寺社領の確定により、古義真言宗雪霜山鏡智院神光寺が別当寺として祭事のすべてを掌っておりました。そして、明治維新の大改革の際に鏡智院家が復飾、名を神代にあらため、現在に至るまで神仕(かみつかえ)の職に就いています。

御宝物

前鳥神社には弥生式土器、金環・銀環、壷型土器、日本武尊の面、天文板論語、神号扁額、社号扁額 論語・千字文を主とした漢籍、百済時代の軒瓦など多くの御宝物が残されています。

論語の漢籍 日本武尊の面

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